長江経済ベルト発展戦略分析

2016年7月、日中ビジネス情報誌である『日中経協ジャーナル』三大地域発展戦略の展望特集に周牧之論文「長江経済ベルト発展戦略分析」掲載された。

 

長江経済ベルト発展戦略分析

長江経済ベルトは「一帯一路」、「京津冀(北京市、天津市、河北省)一体化」と同様に、近年中国で最も重要な国家戦略の一つである。中国の東部、中部、西部を貫く長江経済ベルトは、中国経済の「背骨」であり、沿海地域から内陸部までの開発を連動させる役割が大きく期待されている。
長江経済ベルトとは、上海市、江蘇省、浙江省、安徽省、江西省、湖北省、湖南省、重慶市、四川省、貴州省、雲南省の9省と2直轄市をカバーし、長江流域に位置する巨大な経済エリアである。総面積はおよそ205万k㎡で、中国全土の約21%を占める。同ベルト内の地級市以上の都市数は110都市あり、中国全土の地級市以上295都市のうち4割弱を占めている。長江経済ベルトでは2015年、常住人口は5.4億人、域内総生産は30.3兆人民元に達し、前者は全国の42.1%、後者は同42.2%を占めるに至っている。

三度目の日本留学ブーム

2012-05-22-1

2011年3月11日の東日本大震災と福島第1原発事故発生後、日本で働いたり学んだりしていた外国人がどっと日本を離れた。事故直後、東京から海外向けの航空券は暴騰し、入手できなかった人々は仕方なく名古屋、大阪、福岡など国内を南下することで脱出をはかった。多くの外国企業の支店も、東京を離れて香港、台北、シンガポールなどへと撤退、一時期これらの国・地域のホテルは東京からやってきた人々でパンク状態に陥った。

外国人留学生も大量に帰国していった。東京の各大学は本来4月だった新学期を一カ月後の5月に延期したものの、なお大勢の留学生が休学あるいは退学の手続きを取り、学校を後にした。

これにより、中国で近年新たに沸き起こっていた日本留学熱も相当長い間中断されるに違いないと予測していたが、夏休みに中国に戻ってみたところ、 思いがけず大勢の人から日本留学の相談を受けた。さらに驚いたのはそのうちの多くが日本語専攻の学生ではなく、なかには欧米の名門校への留学条件を満たしている若者たちもいたことだ。彼らが自学自習で身につけた日本語の力は相当高いレベルにあり、日本語能力試験最高レベルの1級をすでに突破している人もいた。

留学の動機を突き詰めてみると皆が異口同音に日本のアニメ、音楽、小説、スターのファンであり、また各種多彩な日本製品が好きだからと明かした。

確かにここ数年、日本のコンテンツは中国の若者に大人気だ。例えば北京の西単にある大型書店に行くと、推薦書棚に並ぶ外国小説のうち3分の2を日本小説が占めている。川端康成、夏目漱石といった純文学の古典から、山岡荘八、村上春樹、渡辺淳一、東野圭吾ら現代作家の名作に加え、いま売れ筋の新鋭の作品も数多く見られる。日本の文学作品はいまや疑い無く中国で幅広い読者を獲得している。

改革・開放初期、「君よ憤怒の河を渉れ」、「サンダカン八番娼館 望郷 」、「幸福の黄色いハンカチ」、「赤い疑惑」、「おしん」、「サインはV」など大量の日本映画やテレビドラマが中国で一世を風靡し、高倉健、中野良子、栗原小巻、山口百恵、田中裕子ら日本の映画スターや歌手が中国の追っかけブームの先駆けを作った。「鉄腕アトム」、「一休さん」、「ドラえもん」、「聖闘士星矢」など日本のアニメ作品は、中国の青少年たちの成長と常に共にあったといっていい。

しかしながらその後、輸入規制により、日本のアニメや映画は現在、中国の映画館やテレビでの正規の放映が困難を極め、日本のスターの影も次第に薄まった。

この状況を一変させたのがインターネットである。今日、中国の若者の大半がネットを通じて日本の映像作品を鑑賞している。ニューメディアは静かに新世代の間に新たな日本のアニメ、音楽、映像作品そして留学ブームを引き起こした。若者たちの中には、親世代が名前さえ知らない日本のスターの追っかけのために、日本留学を決意する者さえ出てきた。

海外旅行が解禁されて間もない頃の中国で、日本は渡航先として人気が無かった。皆が欧米社会の目新しさと多彩さに向かった。しかし、ここ数年突如として日本ブームが起こり、大勢の旅行客が日本にどっと押し寄せ、観光や買い物を楽しむようになった。大陸から来訪する豪快な購買客は、日本社会を大いに驚かせている。

2010年に開催された上海万博の会場で、作家の堺屋太一がプロデュースし運営を担った日本産業館は、日本の生活商品を展示して日々大勢の来場客で賑わい、予想以上の成功を収めた。

過去十数年、個人資産がほとんど無いに等しかった中国が一瞬にしてマイカー、マイホームの社会に突入し、人々は新しい生活モデルと、品質の豊かさとを求め始めた。半世紀先んじて現代社会の豊かさを享受してきた日本に新しい魅力を感じるからである。

中国第1の日本留学ブームは日清戦争直後に起こった。明治維新の僅か数十年の間に、貧しい島国が新興列強の仲間入りを果たした事実は中国の当時のエリートたちを愕然とさせた。青年志士は大挙して日本に渡り、軍事、法制度にいたる様々について学び、今から100年前の辛亥革命を主導するに至った。

第2の日本留学ブームは、改革・開放後に始まった。戦後日本の高度経済成長と製造業の世界席巻が、中国の精鋭を日本に引き寄せた。日本で経済、産業、技術を学んだ留学生は、今日の中国の大発展に大いに貢献している。

ヨーロッパが大航海で得た暴利で生活革命を起こして以来、豊かになった国はすべて、生活水準を一気に引き上げる生活革命を経てきた。生活革命はまた押し並べて空前の国際交流をもたらしてきた。

今日、中国で起こった生活革命は、新たな日本留学熱を呼び起こし、ネットによって活性化された日中文化交流の波は、さらに膨張している。今回の日本留学ブームは日中両国社会の相互理解を促し、中国社会の生活レベルアップに寄与することは間違いない。

掲載誌:中国新華社『環球』雑誌2011年第20号

「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年5月22日

周牧之: 三度目の日本留学ブーム

太陽電池狂騒曲

2012-05-21-1

つい最近まで、太陽電池は、電子産業の将来のドル箱と期待されていた。シャープ、京セラ、サンヨーといった企業が、30年以上を費やして開発に取り組んできた。日本勢はかつて世界の太陽パネル生産シェアの過半を占めていた。

つい最近まで、太陽光発電はオバマ米大統領のグリーン・ニューディール政策の目玉であった。大統領が率先して太陽電池企業への投資を促しさえした。

つい最近まで、ヨーロッパは助成制度のもとで世界最大規模の太陽光発電市場を生みだした。ドイツ企業のQ-Cellsは一躍太陽電池の世界トップメーカーとなった。

しかし、2000年前後から始まった太陽光発電市場の普及と太陽電池の世界競争は、わずか10数年で悲喜こもごもの輪廻を経験した。まず日本企業が敗走した。2004年には太陽電池の世界シェアの半分を占めていたのが、わずか2年でシェアを25%まで落とし、その後転落し続けた。

グリーン・ニューディール政策で潤沢な資金を集めたアメリカの太陽電池メーカーは2011年に突然、破綻のドミノに陥った。オバマ大統領自ら5億ドル以上の連邦融資を決めたカリフォルニア州のSolyndra LLCも例外ではなかった。「モデル企業」の経営破たんは、反対派に大統領への攻撃材料を与えた。

今年4月3日のQ-Cells破たんのニュースは、世界を騒然とさせた。昨日のトップランナーがいきなり退場したのである。太陽光発電の世界は予測がつかない。

太陽光発電市場の急拡大は、政府の政策支援がもたらした。再生エネルギーを振興するため、アメリカ、ドイツ、スペイン、イタリアを始めとする欧米各国が次々に太陽光発電への助成制度や買い取り制度を打ち出した。これで空前の大市場が作られ、太陽光発電や太陽電池メーカーに世界的な投資フィーバーが巻き起こった。しかし急速すぎる太陽光発電の導入量が、各国政府の補助の予想をはるかに超えるものだったところに問題があった。そこへ金融危機や債務危機が、欧米の財政をさらに圧迫した。重荷に耐えられなくなった各国政府は、太陽光発電の買い取りや補助金の拠出をやむを得ず急縮小した。これによって太陽光発電市場の拡大の勢いがそがれることになった。政策によってバブルが膨らむのも速かったが、弾けるのも速かった。

太陽エネルギー世界に波乱をもたらしたもう一つの要因は、中国勢力の出現だ。2001年にサンテックパワーが無錫で創業し、2002年には中国で最大規模の太陽電池生産ラインを立ち上げ、2005年にニューヨーク証券取引所上場を果たした。成功のモデル効果は絶大であった。太陽エネルギーの将来性に中国企業は群がった。その結果、2012年の中国の太陽電池の生産能力は、世界シェアの5割にあたる40GWとなると予測される。一方、2012年の世界の太陽光発電導入量は中国の生産能力にほぼ相当する規模に過ぎない。ちなみに、中国市場は3GWに留まり、これは中国の太陽電池生産能力の7.5%である。すさまじいほどの過剰な生産能力と在庫が、太陽電池の価格を大暴落させた。否応なしに欧米企業が次々と破たんに追い込まれた。「敵を3千殺すには、味方も8百失う」。価格戦争によって、生産量世界トップスリー全てを総なめにした中国の太陽電池企業上位三社も、ことごとく巨額の赤字を出している。業界の雄ですらこの有様なのだから、他の企業の惨状は言うまでもない。

中国企業がわずか10年で世界の太陽電池業界を席巻することができた理由として、まず情報革命で技術伝達の速度が加速したことが挙げられる。特に太陽光パネル生産は装置産業であり、生産技術やノウハウを内包するハイテク設備の導入により、企業は迅速に生産能力を得られる。太陽電池の生産は半導体に似ており、新興企業は世界中の半導体業界から人材を獲得することで、素早く技術チームを作り上げる。世界の工場たる中国ならば、優秀な生産管理の人材も豊富だ。加えて、新エネルギー政策のバブルのもとで、上場やベンチャーキャピタルを通じて太陽電池メーカーは比較的容易に国内外から巨額の資金を集められる。もちろん、中国独特の地方政府支援も重要である。サンテックパワーを例にとると、設立から度重なる危機の回避にいたるまで地元無錫市政府の支援が欠かせなかった。

さらに、中国、特に長江デルタ地域はすでに太陽電池産業の巨大な産業集積が形成されており、きわめて効率的な分業体制が素早く実現できた。以上のような前提があって、中国の太陽電池産業は爆発的に成長できたのである。

しかし、中国での太陽電池生産における過剰な投資は巨大な浪費をも生み出した。産業政策の不在、地方政府間の競争、投資バブル、企業の同質経営などが相まって太陽電池産業をまるでオセロゲームのように高利益産業から薄利、さらには赤字産業に陥らせた。まして欧米企業が先の見えないときに倒産などのかたちで撤退するのに対して、中国企業はさまざまな理由で我慢比べのゲームを続けている。

太陽電池産業の道のりから明らかなように、中国は産業が大発展する諸条件は整っているものの、理性や冷静さに欠けていると言える。

掲載誌:中国新華社『環球』雑誌2012年第10号

「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年5月21日

周牧之: 太陽電池狂騒曲

東方は暗くとも西方は明るい

2012-05-17-1

長期的な業績悪化と2200億円に上る巨額損失により、ソニーのハワード・ストリンガー氏は2012年2月1日、社長兼最高経営責任者(CEO)の職務を退くと発表した。パナソニックとシャープもこの例に漏れず、2012年3月期決算がそれぞれ7800億円、2900億円という空前の赤字を記録した。日本家電王国の覇者たる三大メーカーの苦境の深刻さが改めて浮き彫りにされた。

全世界で一世を風靡した日本の家電メーカーは、インターネット革命の列車に乗り遅れ、ネットサービス及び端末の開発競争でアップル、Google、アマゾンなどの米国勢力に敗北した。生産面でもまた、サムスン、Foxconnに代表されるアジア新興企業に抑えられ、四面楚歌と言ってもよい状態に陥った。

もっとも、幸いなことに時代は「 東方は暗くとも 西方は明るい(毛沢東が1936年の講演で述べた言葉。一方の状況が行き詰っても、他方の状況は良いことがあるとの喩え)」である。アニメ、音楽、映画、テレビ、小説など日本のコンテンツは幅広いファンを得、グローバルコンテンツ市場で10%前後のシェアを保っている。例えば全世界で放映中のアニメはその60%が日本で制作されたものである。なかでも「ポケットモンスター」の放映国・地域は68カ所にも及び、関連製品の累計消費総額は3兆円を超えている。輸出産業になって久しいゲームソフトの海外市場は7000億円に達している。音楽業界も近年業績を伸ばしており、AKB48,SMAP,嵐などのグループが海外で大変な人気を博している。

従来、日本の高度成長を支えてきた製造業は、バブルの崩壊により業績悪化の一途を辿った。相反して、コンテンツ産業は猛成長し、東京はファッション、芸術、娯楽、レジャー、グルメやショッピングの都となって人材が集結し、文化の発酵、発信の地となっている。

戦後、米国の生活と文化は日本人の憧れであった。映画、音楽、ファッションそして雑誌を通して、人々は米国の現代文化の断片を、余すことなく収集し味わった。ハリウッド映画、ジャズ、米国雑誌の日本版はことごとく流行した。

しかし経済的ゆとりと生活の質の向上、そして大都市の快適で多彩な生活モデルが確立するに伴い、日本人が米国式生活に盲目的な憧れを抱くことは無くなった。日本人の感性に訴える米国文化の力は次第に弱まった。

今日、ハリウッドの大作が日本ではあまり評判を呼ばない例もしばしば出てきた。例えば「バットマン ダークナイト」は全世界の興行収入が10億米ドルを超えたにも関わらず、世界第二の映画市場である日本では1500万米ドル止まりだった。

日本はすでに4年連続で邦画の興行収入が洋画のそれを超え、ハリウッド作品の世界市場における日本のシェアは従来の15%から今は半分に満たない7%にまで落ち込んだ。多くの米国雑誌の日本版も読者の激減により、相次いで廃刊を余儀なくされた。一時は発行部数70万を誇った雑誌『PLAYBOY日本版』もこの例にもれなかった。昨年、1300万の記録的な販売枚数で世界のCD王の座を勝ち取った英国歌手アデルのアルバム「21」も世界最大の音楽市場たる日本では5万枚を売ったに過ぎなかった。かつて若者であれば誰でも飛びついた欧米留学に至るや、志願者が激減している。

西洋文化への免疫力を付けた日本のコンテンツメーカーたちは、独特の感性を持った自前の作品を創り始めた。

日本の家電産業の優位性を失墜させたインターネット革命は、コンテンツ産業には世界に向けて広がる大舞台を提供した。とりわけiPodとiTunesが打ち立てた全く新しい音楽生活モデル、続くiPhoneとiPadによるゲーム、書籍、雑誌、音響に跨がる斬新なネット視聴モデルが登場した。YouTubeもコンテンツを世界へ自由発信するプラットホームを提供した。これらはすべてコンテンツ産業に、国境を超えた巨大市場空間を作り出した。

2011年に全世界で生産されたスマートフォンは4.7億台となり、初めてパソコンの台数を超えた。2015年に同スマートフォンの台数は11.7億台に達すると予測されている。コンテンツの鑑賞にマッチしたスマートフォンとタブレットPCは、すでにクラウド時代のネット端末の主力となっている。2015年にスマートフォンのアプリケーション・ソフトウエア市場は、現状の10倍の520億米ドルに達すると見られている。

今日のネットにおけるコンテンツ商品の流通は、依然として無料版あるいは海賊版が主流となっており製作側が相応の収益を得るまでには遠く及ばないものの、ネットは、コンテンツに国境を超えた認知と巨大な潜在市場とをもたらした。近い将来必ずクラウド機能の更なる進歩と新サービスの出現とにより、コンテンツのグローバルなネット交易と鑑賞とが爆発的に普及するだろう。

ネット革命の深化により、日本のアニメ、ゲーム、音楽は今まさに一大新興輸出産業となっている。14兆円規模の日本のコンテンツ産業で、ゲームと音楽のシェアは僅か9%、13%に過ぎず、出版と映画・TVは43%、34%と圧倒的シェアを持っている。しかし、出版も映画・TVもネット化の度合いはなお低く、輸出意識の希薄さと相まって、潜在的力量を発揮できないまま置かれている。日本のコンテンツ産業収入の海外比率はまだ4.3%に止まっており、米国の同17%に遠く及ばない。総じて、日本は優秀なコンテンツ作品とクリエイティブな人材を有しながら、産業としてのコンテンツを取り巻く環境がもの足りない段階に甘んじている。

ネット革命によって開かれた「知のグローバル化」の時代にあって、日本が必要とするのは、各国と手を携え、ウィンウィンの商業モデルを打ち立て、知識経済の新たな繁栄を目指すことである。

掲載誌:中国新華社『環球』雑誌2012年第4号

「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年5月17日

周牧之: 東方は暗くとも西方は明るい

黄金の価値は不変だが、玉の価値は人による

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広島県に古くからある小さな町、鞆(とも)を先日訪れた。古い街並みがほぼ完全な形で残されている。瀬戸内海にぐるりと囲まれた静かな古港があり、かつての寺社や娯楽場が軒を連ね、いにしえの商業街が広がっている。水運時代の「潮待ち港」の繁栄が偲ばれる。

廃れた小さな町は、再び旅人を呼び込むために、かつて同地に滞在した明治維新の英雄、坂本龍馬を呼び込み役に仕立てて宣伝しているが、坂本龍馬の当時の足跡は日本各地に散らばっているので、鞆だけのイメージキャラクターとしては少々無理がある。

加えて、鞆は、龍馬という著名人を宣伝役に起用しながら、一方で、日本アニメ界の巨匠である宮崎駿の足跡を考慮していない。「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」、「となりのトトロ」、「魔女の宅急便」、「紅の豚」、「千と千尋の神隠し」、「ハウルの動く城」などアニメの傑作で、ディズニーやドリームファクトリーと天下を分ける宮崎駿は、2005年、この歴史ある町の古い家屋に2カ月以上も滞在した。鞆をモデルにして構想を重ね、「崖の上のポニョ」を発表し、センセーションを巻き起こした。鞆の街並みに心を打たれた宮崎氏は、自ら費用を拠出し、同地の古い建築物の修復支援をも行った。

残念なのは、宮崎作品の世界的価値を同地の人々が熟知しておらず、むしろ粗末にしていることだ。町のとある旅館で見かけた巨匠手書きのデッサンは、手厚く保護されていないどころか、不注意なコーヒー染みで汚されていた。意外かもしれないが、日本国内では知らない人のいない坂本龍馬は、国外ではあまり知られていない。ところが、宮崎駿の崇拝者は、今日では全世界に及んでいる。

巨匠宮崎駿の創造的アニメ空間を体験しようと、毎日大勢の観光客が東京・三鷹のジブリ美術館を訪れている。同美術館は、筆者の東京の自宅近くにあるので、国内外の友人にしばしば同美術館の入場券の購入を頼まれる。ところが数週間後の予約さえ取れないことがあり、宮崎アニメの影響の大きさは計り知れない。

宮崎アニメの世界と、鞆の歴史と絶景とを有機的に融合し、観光客を呼び込めば、歴史に埋もれた古い町を活性化させられることは間違いない。

「黄金の価値は不変だが、玉の価値は人による」(「黄金有价玉无价」)————。黄金の価値は、決まっているので、通貨として使われる。これに対して、(唯一無二で稀少な)「玉」の価値は、その時々の人の評価によって定まる。玉と同様に、コンテンツも受け手の感じ方によって価値が決まる。優れたコンテンツを楽しむ人々が国境を超えて広がる現代において、海外各国の共感を得ることは、想像もつかないチャンスをもたらす。

国際文化交流は、文明の遺伝子の保存にもつながる。古代の日本では、中華文明から大いに学び、導入してきた。663年に、倭(日本)・百済連合軍は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗した。唐朝の強大さを認識した日本は、その後、次々と遣唐使を送り込んで唐に学んだ。奈良と京都を中心に、政治制度から文化、芸術、宗教、建築までほとんどを輸入し、中華文明の体系を自国で包括的に再現しようとした。

鎌倉幕府は、1185年に武家政治の時代を確立させた。京都を中心とする公家政治に対抗するために、鎌倉幕府は、宋日貿易を大きく開拓し、積極的に宋朝から学び、宗教、文化、建築など文明の諸要素を輸入し、宋朝の禅や茶道といった文化を日本で流行させた。

中国本土の中華文明の進化スタイルは、「創造的破壊」というべきもので、その多くが途絶え、消失していった。しかし、いにしえの日中文化交流の積重ねで、今日、日本の奈良・京都、そして鎌倉に残っている宗教、建築、芸術、工芸品の中に、唐、宋という異なる二つの時期の中華文明の縮図が見て取れる。

「葡萄美酒夜光杯、欲飲琵琶馬上催」——この詩は、(初唐の七言絶句の第一のものとして)中国で千百年もの長きにわたって吟じ続けられた王翰のものであり、明日の命も分からない西域防衛の兵士が月明かりの下で葡萄酒を酌み交わす切ない詩である。中国大陸では、唐時代の葡萄品種は既に途絶えており、唐の詩人が絶賛した極上ワインの味わいは、今日では、詩の余韻から想像するほかない。しかし、日本では1300年前に遣唐使が持ち帰った葡萄品種が山梨県で今もなお綿々と受け継がれている。筆者の友人が経営する山梨の勝沼醸造は、この葡萄で作った葡萄酒を磨き上げ、国際コンクールで大賞を取る極上品を作り上げた。現代に生きる我々に千年前のロマンを味わわせてくれる。

今日のグローバル化とインターネット時代に、文化の交流と伝達は、益々広がりを見せ、スピードアップしている。コンテンツの受け手は増大し、(コンテンツ産業が)収益を上げるだけではなく、相互理解も深まっていく。とりわけ各国が輸出を前提にコンテンツを創作し、あるいは共同制作すれば、コンテンツの内容にも大きな変化が起こるはずだ。

日本の内閣官房知的財産戦略本部、中国国家信息中心などが、今年3月24日、国際シンポジウム「中国の生活革命と日本の魅力の再発見」を北京で共同開催した。日中の産学官の要人が一堂に会し、日中両国の文化産業の交流と協力をテーマに討論した。シンポジウムで示された未来図と、その重要な意義が、500人あまりの各界の来場者を引きつけた。会場での交流の盛り上がりは、日中文化産業の大交流・大協力の時代がいままさに到来したことを物語っている。

掲載誌:中国新華社『環球』雑誌2012年第8号

「中国網日本語版(チャイナネット)」2012年5月11日

周牧之: 黄金の価値は不変だが、玉の価値は人による

コンテンツ商品新収益モデルの構築

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中国の消費文化のイノベーションに関する中日対話が3月24日午後、北京の中国科学院学術会堂で開催された。

 中国の歴史において、この10年ほど人々の生活水準が急速に向上した期間はない。生活水準と品質への追求に邁進する現在の中国は、“生活大革命”の真っただ中にあるといえよう。同時に、富裕化に向かいながらも東西文化の融合の中で模索を続ける中国は、伝統文化の復興、洗練そして昇華に至る“ルネサンス”を実践しているともいえる。

一方、日本は中国より数十年早く世界でも最高の生活水準を確立し、その高品質の生活ニーズに支えられて一大産業群を形成した。中国人の日本の生活文化産業への関心も急速に高まっている。

中国国家信息中心、中国科学院科技政策与管理科学研究所、新華社『環球』雑誌社が今年3月24日、日本の内閣官房と共に、北京で国際シンポジウムを開催する。日中の生活文化産業の交流推進を通して、中国の生活品質および水準の向上、内需拡大、新産業育成の促進をはかることをテーマに討議が行われる。

本誌では、シンポジウムの開催に先立ち、周牧之東京経済大学教授と角川歴彦角川グループホールディングス会長、安斎隆セブン銀行会長、宮島和美FANCLグループ会長、谷口元エイベックス・ミュージック・パブリッシング株式会社社長との対談を企画、生活文化産業をとりまく環境の変化と今後の課題について各氏の意見を伺った。

周牧之: コンテンツ商品新収益モデルの構築

East Asia needs breakthroughs in cooperation

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The marketing and information technology revolutions that have mushroomed over the past 20 years have sped up the flow of worldwide manpower and wealth as well as the globalization of economic activities. The accelerated integration, development and reforms that countries have undergone have boosted the world’s total gross domestic product (GDP) from $20 trillion in 1989 to last year’s $60 trillion.

Following the historic fall of the Berlin Wall was the reunification of East and West Germany in Europe. The series of events that ensued, from the establishment of the European Union in 1993, to the creation of the euro, a unified regional currency in 1999, and the bloc’s eastward expansion in 2004, signaled that a new type of political and economic entity has taken shape.

In the US, lax regulation of its capital market and the adoption of a strong dollar policy have resulted in a ceaseless inflow of speculative capital from abroad, which, together with a flood of financial products and high-flying speculative crazes, have turned Wall Street into a sheer haven of gamblers. The omnipresent games with capital have also contributed to the explosive development of the IT industry in the US. Blossoming IT technology, new concepts and new commercial models were used as an important tool to snatch more wealth. However, the world had to pay the bill for speculation in Silicon Valley as the IT bubble burst in the US in 2000. The increasingly fierce speculation in Wall Street finally triggered the outbreak of the worst global financial crisis in decades.

Radical changes in the world’s political landscape have offered rare opportunities for China to push ahead its historical reform and opening-up initiative. With two decades of booming development, the country’s GDP has expanded 11-fold and China is the world’s top country contributing to global economic growth.

The US abandoning its Japan policy from containment to support during the Cold War period resulted in decades-long high-paced economic development in Japan and its No 1 economic status in Asia. However, Tokyo’s failure to follow the trend of globalization and make innovative reforms in a timely manner after the end of the Cold War has hampered the country’s further development. In the past two decades, Japan’s GDP has only maintained a 1.4 percent growth rate, much lower than the world’s average of 5.8 percent. Its GDP share in the world’s total has also drastically declined from 15 percent in 1989 to 8 percent in 2007. Frequent spats in Japan’s political arena and frequent leadership transitions have also resulted in its failure to work out a national plan to adapt to globalization.

Public eagerness for bolder reforms amid the global crisis contributed to the election of the first black president in the US and the first power transition in a real sense in Japan. However, Wall Street, the epicenter of the global financial crisis, has failed to push forward some fundamental reforms following the outbreak of the crisis, as reflected by some Wall Street financial bodies receiving government subsidies on the one hand and distributing bonuses to management on the other. The US government’s failure to reform the rules of the game and put in place effective financial supervisory mechanisms make possible a new round of financial storms.

Under the double impact of a shrinking US market and the appreciation of the yen, the staggering Japanese economy has been in a difficult predicament, as reflected by salary cuts and the bankruptcy of a growing number of enterprises.

At the Beijing-Tokyo Forum held in Dalian, China in early November, Japanese financial elites still believed that the US dollar would be the world’s currency of payment in the future, although they thought new financial storms will occur and the dollar would continue to devalue. Such a belief has hampered their pursuit of a regional financial system in East Asia.

At the forum, participants from both countries had heated debates about the concept of the East Asia community, an idea advocated by Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama not long ago. However, Hatoyama neither made substantive clarifications about the community nor put forward a concrete timetable for its construction.

According to International Monetary Fund estimates, the GDP of East Asia, including ASEAN, China, Japan and the ROK, is expected to exceed that of the euro-zone countries next year and match that of the US in 2014. Thus, the establishment of a cohesive community in the region will serve the interests of all regional members. To this end, East Asia should first set up a free trade agreement within the region and try to dismantle barriers that hamper the free movement of talent and wealth between members. Viable measures should be taken to strengthen coordination among members on economic and monetary policies for the final construction of an EU-like bloc.

The author is a professor with Tokyo Keizai University.

China Daily 2009年12月2日に掲載。

More tolerance, confidence urged

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Japan needs to boost its tolerance and confidence in engaging China and its people to promote bilateral ties, particularly at the grass roots, Zhou Muzhi, a Chinese professor at Tokyo Keizai University, told China Daily in an interview.

Zhou, who has studied, worked and lived in Japan since 1988, said the attitude of Japanese society toward China has seen a delicate shift – simultaneous with the ups and downs in Sino-Japan relations in the last decade, as well as affected by Japan’s economic situation and its position in the region and the world.

Japan had been nurtured by an irrational “China threat mentality” as its neighboring country China experienced rapid growth in its economy and society, Zhou said.

China’s previously unimaginable progress startled its neighbor, compared with a stagnation in Japan, triggering a “lack of confidence and intolerance” in Japan that resulted in a fear of China’s growth.

These could be seen in media reports of China in Japan, Zhou said.

“The Japanese media has chosen to portray China in a way that caters to a conservative mentality in society,” Zhou said, citing coverage of the tainted dumplings cases as an example.

“A large number of Japanese people cannot really understand the real China,” he said.

Last January, more than 10 people in Japan reported stomachaches, vomiting or diarrhea after eating frozen dumplings made in China.

A thorough investigation by Chinese authorities showed that an individual had deliberately caused the poisoning and the incident was not a lapse in food safety resulting from pesticide residue, as many in Japan had assumed.

The fanning of one-sided media reports in Japan subsequently hurt the reputation of Chinese food products in Japan and caused a slump of China’s food exports to Japan.

Zhou added there have also been a good number of media reports exaggerating China’s pitfalls and demonstrating “China as a country set to fall”, all based on their own assumptions.

“Japanese people’s sentiment toward China may stem from the fact that China is growing into a global power,” Zhou said, as he reiterated the media’s essential role in bridging differences between Japan and China, as well as deepening understanding of the two nations at grass roots.

Still, Zhou said Japan continues to show less confidence to engage people from China in a number of other instances.

Admitting foreign students into Japan in the last few years has become less flexible than years ago, he said.

Educational statistics have shown that the number of Chinese students heading for Japan has declined in the last few years.

In 2008, 14,160 students went to study in Japan, recording a 150 percent decline from 2004.

“It is more difficult for Chinese students to be issued a visa to study in Japan and the process got more complicated with the finger-printing process,” Zhou said, adding that many Chinese students in Japan have to wait for years before getting credit card applications approved.

The university professor also said that in the university, scholarship and job opportunities, once open for grabs, are now very limited compared to years ago.

“This may be a reflection of Japan being less open-minded and engaged,” Zhou said.

But he said the new Japanese government, headed by Yukio Hatoyama that was elected by the public amid hopes for a stronger economy and better living standards, should also bring about more confidence and tolerance among Japanese people to engage China with a positive mentality.

The author is a professor with Tokyo Keizai University.

China Daily 2009年11月2日に掲載。